GARAKUTA-DUKUME

yuta kishimoto

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自分の証明 1. 発生~中学頃(1)

   

自己紹介です。

(note に書いていたものをこちらにも移動しただけです。)
https://note.com/luna_yuta/n/na6ab305ca3c8

えっ今更!?

とはいえ本当に今更自己紹介といっても一体何をどこからどのように書いていけばよいのか考えるのもめんどくさく、考えたところで大した文章が出来上がるわけでもないのでやはり今回も適当にキーボードを叩いていく。

生育環境

田舎(長野県)の多分いわゆる中流家庭に生まれて2歳からピアノを習って育った。あとは公文。社会非適合の芽は幼稚園時代から芽生えていたらしく、お遊戯の練習の最中に「なぜこんなことしなきゃならんのやー!!ああああ!!!」みたいなテンションで積木でガラスを割って逃走したらしい。憶えてません。記憶にございません。いや本当に。

ピアノ

ピアノは結構真面目にやっていたらしく、突き指が怖くて学校の体育の球技には一切参加しない、学校の土日行事よりもコンクールを優先する、などしてコンクールの全国大会に出場・入賞するくらいには弾いていたり学校での伴奏なども大体やっていた。通っていた教室からはソロリサイタル開くレベルの人が何人か出現したりしていたが、俺は教室内での発表会でゲーム音楽を弾きたがるものだから先生からは若干呆れられていたように思う。中学くらいから先生もピアノ教えないで、変な PDA ガジェットとか MIDI の打ち込み方とかをなぜか教え始めた。草。

勉学

公文は好きな時期と嫌いな時期があり、嫌いな時期は死ぬほど嫌いでビリビリに紙を破いてごみ箱に捨てたりしていたが、好きな時期はめちゃくちゃ集中して進めていた。なんだったんだろう。わからん。憶えてません。記憶にございません。そんなおかげで小学校のうちには高校数学までは終了し、中学の時に英検1級が取れた。やったぜ。公文の進度優秀者だかなんだかのなんかよくわからん集合に参加していた記憶がうっすらある。あれなんだったんだ。表彰式かなんかか・・・?

あと通ってた小学校・中学校が大学の教育学部付属の小中一貫校で双子が異様に多く、あ、教育の実験施設だったんだということに最近気付いた。兄弟姉妹も異様に多かった。ゆとり教育も周りの同世代に比べると早期から導入されており、小中高ほぼほぼゆとって育った。円周率はギリギリ 3.14。小学校の時に、「障害についての理解を深めましょう」みたいな研究課題があったのだが、「障害」という言葉の表す意味についてよくわからん無駄なことを書いてたら他の人は障碍者の大変さみたいなのを色々書いててあれ、なんか間違えたなって思った。なんだったんだあれ。

小学校4年の時に小学校が新築移転し、音楽室にドラムやらレコードが置かれるようになりよく入り浸って同級生とバンドをするなどしていた。もちろんキーボード担当。1990年代後半だったのでGLAYとかラルクとかなんかその辺コピーして遊んでた。ちなみにその時のドラマーとは未だに友人だったりバンドをしてたりする腐れ縁。音楽の先生とやはり仲良く、小学校の卒業式後に焼肉に連れて行ってもらうなどした。ごちそうさまでした。

小学校5-6年生の時の担任の授業方針が気に食わず、2年間戦い続けた挙句、卒業式の後の懇親会か何かでそいつが「僕はあの子好きでしたよ」とか俺の元母親(察しろ)に行っていたことを聞いてマジで卒業してよかったなと思ったりなどした。それ以外なんかあったっけ。クラスで飼ってたハトが野良猫か何かに全滅させられた時、学級会か何かで反省が行われ、みんな泣きながらよくわからんことを言っていたがよくわからなさ過ぎてあんまり覚えてない。

ちなみにその授業方針、今思うとそんなには悪くはなく、出来事に対して自分でまず調べ、考えをまとめ、各自発表していき、考えが異なれば討論が始まる、というものだったのだが討論の結論によって事実が捻じ曲がってしまうことがままあり、そこが一番気に食わなかった。お前が思うんならそうなんだろう、お前の中ではな。あ、でも道徳の授業は楽しかったです。いかに説話を非道徳的に捉えるかというところに楽しみを見出していた。社会不適合者2。

中学生

中学生。掃除場所が体育倉庫で女子と二人っきりだったんですけど今考えるとそれなんてエロゲ?ブラ見せてもらうまではしましたがそれ以上は特に面白いことは起きませんでした。ピュアなので。

吹奏楽部に入部するも、トロンボーンが吹きたかったのに、男子が少ないためとかいう理由でユーフォニウムとかいうでかい奴を吹かされる。多分1年くらいでやめて合唱部へ(伴奏担当)。伴奏担当ではありながらもアカペラ曲では歌ったりもしたので基礎体力向上・ダイエット(ちょいぽちゃだった)のために朝5時に校庭へ行き、1時間ほど走って用務員さんが学校を開けてくれたら音楽室へ向かってピアノを一人で弾き倒す生活をしていた。

中学でも研究課題のようなものがあり、その時脳に興味があったので大学の図書館などに行きながらひたすら脳の構造と役割について調べた。脳神経を電気接続したい欲望は多分この頃からのもの。所詮脳も電気信号で動いているならばコントロールは可能なのでは?イィーーーロォオオオーン!!!!このレポートを書くためにMicrosoft Office を初めてまともに使うなどした。

よくよく思い出すと当時(中学生だから2000年くらい?)から情報の授業があった、といってもBASICで簡単なカードゲームのプログラムを写経しただけだったような気がする。父親が SE で小学生の頃から家には Win95 があり、パソコン通信()などもしていたが不思議なことにギークなオタクにはなっていなかった。普通にゲームしたりしてた。当時Windowsに付属していたアリーナ(だっけ?闘技場を勝ち抜いて強くなってくやつ)とかアンジェリーク(母親の趣味)をやったり謎のセレクション。

この頃、父親は東京に単身赴任をしており、それをいいことに元母親は不倫をしていたらしく、その相手にフラれたことを突然寿司屋で告げられた。お寿司美味しかったです。

そんな元母親はゲーマーでオタクだったので小学生の頃からコミケに連れていかれたり、なんかのオフ会に連れていかれたりしていた。オタク英才教育やめろ。まぁピアノのコンクールのついでだった時もあった気がするけど。(一回くらいか?)

合唱部は三年生の時にコンクール二種で全国大会まで出場。こないだYoutubeで動画見つけちゃって自分の若さに草生えた。友人に後から聞いた話では、にちゃんの実況スレで「この学校のピアニスト、犯罪者の顔してる」とか言われてたらしい。意味が分かりません。

めっちゃ普通に生い立ちをグダグダ書いてるやん。まぁいいか。こんな感じのノリでこのまま進めていきます。

アニメとか漫画とかゲーム

そういえばアニメとか漫画とかゲームの話あんまりしてなかったですね。一番最初に見たアニメは多分なぜかセーラームーンでVHSに録画して変身シーンをコマ送りで友人と見ていました。男子ってほんとヤダ~~。あとはパプワくんと魔法陣グルグル。アニメはそれくらいしか覚えてないな。多分田舎なのでそもそもそんなにやっていなかったのだと思われる。

元母親がオタクなので家には元から少年漫画や少女漫画が様々あり、色々読んでいた。ジャンプ系だと聖闘士星矢、スラムダンク、はもともと全巻あったのを覚えてる。少女漫画系だとガラスの仮面とか清水玲子とか吉田秋生とかなんかその辺。どのへんだよ。分からん。この頃から読んでたBANANA FISHが最近アニメ化されたのはびっくりしたし良かったですね。良かったですよ。コロコロとかボンボンみたいな雑誌に触れる機会はなく、ジャンプ・サンデー・ガンガン後はなんか少女漫画雑誌数冊(Cookieとかだっけ)が毎週買われている家庭でした。ジャンプはワンピ・ナルト・ハンター連載前には読まなくなってしまっていて、久々に読んだらハンターハンターおもろいやん、で復帰。いつ頃かはわからん。サンデーはちょうどコナンが連載開始した辺り、確かまだGS美神とかじゃじゃ馬ぐるーみんUPとかが連載していたような。ガッシュやうえきを通過して双亡亭壊すべしが始まったあたりで読むのをやめた。ガンガンはツインシグナルとかパッパラ隊とかハーメルンとかその辺の時代ですね。漫画家では柴田亜美が一番好きでした。パプワ・HERO・チャンネル5・ドキバグ・タンバリン辺りまでは持ってた。

ゲームはスーファミから。大戦略とドラッケンが最初のプレイ。ドラッケン、なんだこれ意味わからんってなりながらに結構やったな・・・。うっかり橋渡るとサメに食われて死ぬ。ものすごいスピードで叫びながら画面を横断していく謎の竜人。沸点の低い竜王とかいた気がする。なつかし。その後はスーパーマリオワールド・ヨッシーのクッキー・ぷよぷよなどを経てドラクエ5-6、FF5-6、FE紋章の謎・聖戦の系譜、タクティクスオウガ辺りがスーファミでプレイ時間長めだった気がする。良い子なので夜九時に寝て、朝3時に起きて学校行くまでの時間プレイする生活してた。ちなみにピアノも一日1-2時間くらいちゃんと練習してた。えらい。

聞いてた音楽

ピアノ以外の音楽だと、小学生の時に LUNA SEA にハマっとった。母親はMALICE MIZER にハマり、Gackt に洗脳された。あとなに聴いてたっけ、TMR、GLAY、ラルク、普通にその辺か。中学生の時に父親の所持しているレコードに興味を持って、ビートルズ、ツェッペリン、ピンクフロイド、キングクリムゾンとかなんかその辺をごちゃごちゃMDに詰め込んで聞いてた。

飽。

書くの飽きてきた。
詳細に書きすぎた。誰が読むねん。そのあともご飯食べたりセックスしたり寝たりしながら生きました。音楽やりながらそれに動画を付けて公開する自慰など。

去年、仕事しすぎて鬱になった。

プログラミング独学が停滞していたので42Tokyo受けた。受かった。今やってる。

まさに求めていた低レイヤー部分から触れていてこれですよ、奥さん、これなんですよ、といった感じ。とりあえずブラックホールに細心の注意を払いながら音楽・映像表現をやっていくために(やや迂遠ではあるものの)頑張っていく予定。

以上です。

(そのうちやる気が起きたら追記します。多分起きない。)

 - 酔っ払いのタワゴト